R3年 6月の言葉 

人生は出るから会える。どういう人に出会うかで、自分の人生は磨かれる。

武産館で稽古された方で、別府・大分マラソンを2時間38分で走られた人との出会いが、道場の皆さんと各地で開催されるマラソン大会に出るようになり、ハーフマラソンを走れるまでになった。
さらにフルマラソンの42,195キロを制限タイムなしで、完走させてくれる大会はというと、ハワイのホノルルマラソンである。このフルマラソンを走るのに、合気道の稽古に来ていた和歌山大学陸上部の方の指導で、1キロ6分で走るペースを大学のグランドでつかましてもらい、ホノルルマラソンを走った。タイムは4時間16分。
その後、なんとか3時間台で走りたいと思い、再度ホノルルマラソンを走ったが4時間6分で終わった。

前回もその時も、私達の完走祝賀会の司会をされたのが高石ともやさんであった。その後、「心が体を動かす」師の教えを、マラソンで体験したく、42,195キロを通過点にして、100キロのゴールに心を置き走ればどうなるのか。それで北海道のサロマ湖100キロウルトラマラソンを走った。
100キロのゴールに心を置けばフルマラソンの42,195キロなんか、なんの苦もなく通過できる事を体験し、12時間57分でゴールできたのである そして、このサロマでも、ホノルルマラソンで出会った高石ともやさんと再会し、完走祝賀会で司会をされ、祝杯をあげたのである。

高石ともやさんは歌手で、各地のマラソン大会で走られていたが、51歳の時にロスアンゼルスからロッキー山脈を越え、外気温が体温より高くなるネバダの砂漠地帯をぬけニューヨークのセントラルパークまで4700キロ、1日走行73キロを64日かけて走るこのマラソンを走破されたのである。

その時に、自分に言って聞かせた言葉は「自分に悲しまず、人に怒らず、明日を怖れず、出来ると念じてニューヨーク」だったという。また、全国都道府県対抗女子駅伝に出場した選手達にも「ここまで来るのに一生懸命頑張った自分も、喜んだ自分も、全部知っているのはあなた自身だ」との言葉を贈られた。 さらに、もう一人、遠藤えいこさんにも力と勇気を戴いた。彼女は30歳まで走ったことがなく、走り始めた時に100メートル走れるとうれしい、次に200メートル走れると、うれしいと自分を褒めてやり、走り続けて、私が50歳でサロマを走った時は、女子ウルトラマラソンの第一人者になっていた。 彼女はサロマで8時間少々で完走された後、私達が13時間制限時間いっぱいでゴールするてまえで、おめでとう、完走ですよと拍手で迎えてくれたのである。

そして、彼女がマラソンの最後のゴールを、高石ともやさんが完走した米大陸横断4700キロを見事に完走されたのである。出るから会えた尊いご縁である。

                                     館長

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