R4年5月の言葉 

 

 先日、奈良で開催された合気道の講習会に、皆さんと久しぶりに参加しました。
 合気道の講習会も、日々の稽古も今まで当たり前に出来ていたのが当たり前で無いのだと云う事を、このコロナ禍で気づかされた。
 また、今ロシアとウクライナの戦争で、平和である事が当たり前では無いと云う事を、この戦争で気づかされた。

 日本の平和も今、海を挟んだ北朝鮮はミサイルで日本を脅かし、軍事大国となった中国、またロシアは今、日本の領空・領海を脅かし、日本の平和が当たり前であるのが当たり前では無いと云う事を、このロシアとウクライナの戦争で気づかされたのである。

 日本の歴史を遡っても、今から162年前には欧米列強が日本を植民地化しようと武力で迫ってきた事があった。当時の徳川幕府は、為す術も無く権威は失墜していて、国内は対立抗争が激化し、日本全体が大揺れに揺れていた時代であった。そういう状況の中にあって、日本の若い志士の心に火をつけて、日本を守ろうとする礎になったのが吉田松陰である。

 吉田松陰は安政6年(1859)10月27日に江戸伝馬町の獄で処刑されて、29年2カ月の生涯を閉じたのであるが、松陰の辞世の句に「身はたとえ 武蔵の野辺に 朽ちるとも 留め置かまし 大和魂」。(我が身はたとえ武蔵の地に朽ちようとしても、大和魂だけは、この国(日本)に留まって、護国の鬼となるぞ)との辞世の歌であり、吉田松陰の行動と言葉が国中の若い志士の心にひをつけて日本が守られて来たのである。

 今は平和な日本があたりまえであるが、平和も、合気道の稽古も出来るのがあたりまえが、あたりまえじゃない事を、コロナ禍とロシアとウクライナの戦争で気づかされたのである。
     平和は一つ争いは無限  健康は一つ病気は無限

                                     館長

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